学内公開研究会・多分野交流演習
学内公開研究会・多分野交流演習
人文社会系研究科の大学院生向けの授業・多分野交流演習「サステイナビリティと人文知」と兼ねていますが、大学院生以外の学内関係者(学部生・教職員)も参加は自由です(紹介があれば、他大学関係者も参加可能)。1度のみの参加もOKです。
原則として、(月1、2回)金曜日17時〜19時に実施します。
ハイブリッド開催となります。「お問い合わせ」ページから、学内メールアドレスを記載の上、ご連絡ください。追って対面開催の教室とZoomリンクをお知らせします。
4/19 堀江宗正「環境人文学の探究──エコクリティシズムと環境史の交差から」
5/17 結城正美「エコクリティシズムの挑戦」(オンラインのみ)
6/28 高橋勤「ソローの博物史(ナチュラルヒストリー)」
7/12 野田研一「環境と文学──歴史を振り返る」
7/26 村上克尚「津島佑子の文学とクィアエコフェミニズム──『寵児』を例として」
8/1 小川公代「エコロジーと文学」
10/4 五月女颯「足尾銅山鉱毒事件と文学」
10/18 海野聡「古建築を受け継ぐ――メンテナンスからみる日本建築史」
11/1 藤原辰史「環境史から見た食」
11/15 瀬戸口明久「災害の環境史──科学技術社会におけるヒトと昆虫」
12/6 菅豊「食文化と環境史―野鳥の味を忘れた日本人」
12/20 大学院生発表
1/10 総合討論
実施報告は下記から:標題をクリックすると要旨が見られます。
まず環境人文学を「人文学のディシプリン、理論、クリティカル・タームから、環境問題について分野横断的に研究し、教育すること」と定義した。また、Routledge Environmental Humanitiesシリーズの書名をテキストマイニングで分析し、そこでの環境人文学は、「人文学」を標榜するものの、自然科学や政治学・経済学との関係は強いことを確認した。
次に、このような環境人文学と本研究会「Sustainabilityと人文知」との関係を考察した。本研究会は、人間と自然あるいは経済と環境の媒介としての文化のサステイナビリティに関心を寄せてきた。その文化を考える上で、個人と社会の媒介に注目する言語論的転回に関わる概念が応用できると指摘し、人間と自然を媒介するものが、二項対立を乗り越えつつ、この二項の形成に関わっていると論じた。そして、その媒介に注目するのがエコクリティシズムであり、またそのロマン主義的形態を問い返すときの参照点として欠かせないのが環境史であると、両者の関係性を整理した。
その媒介の今日的な表現を考える上での準備作業として、sustainの辞書的意味を改めて確認し、「持ちこたえる能力」と言い換えられるとし、人間も自然も「sustainer」として共に苦しんでいると論じた。その実例として、アースデイ東京での対話の場の観察から、気候変動への不安(気候鬱)と活動家の罪悪感が、現代人の実存的不安としてとらえられることを示した。それは個人と惑星の直結という「中抜け」の構造であり、想像力に過度に依存したものであった。次いで、Cornelius「環境と心理」のミュージック・ビデオを実例として、都市住民にとっての自然と個人心理の無媒介性を確認した。
これらを踏まえて、今年度の研究会の目標を次のように定めた。
「生態系と人間の二項対立を媒介するものとしての物語、そしてそれがロマン主義的な虚構を提供するときに、現実に引き戻そうとする環境史の知見、「サステイナー」に対する様々な時間の幅からのアプローチを見ることで、環境人文学を探究する。」
本講義では、拙著『文学は地球を想像する――エコクリティシズムの挑戦』(岩波新書、2023年)で要約にとどめたエコクリティシズムの批判的展開について、その一端を具体的に示すことを試みた。構成と概要は次の通りである。
1 エコクリティシズムとは
「文学と物理的環境の関係をめぐる研究」と定義されるエコクリティシズムにおいて、「物理的環境」の捉え方が一元的でないことを指摘し、初期エコクリティシズムで環境がもっぱら実在的に自明なものとされていたのに対し、環境を文化的に構築されたものとして分析する動きが醸成されていったことを説明した。後者の例として、環境という言葉を無批判に用いることが「みずからをとりまくもの」から思考を遠ざけるというティモシー・モートンの見解を紹介した。
2 エコクリティシズムの批判的見直し:エコクリティーク、ダークエコロジー
モートンが『自然なきエコロジー』で論ずるところによれば、環境を無批判に実在的に捉える限り、清らかなもの/汚いもの、自然/都市といったロマン主義的二元論から自由になることはできず、「美しき魂症候群」に陥ることになる。美しき魂は自然・環境を礼賛する全体論につながることから、モートンが全体論 (holism) ではなく集散性 (collectivism) を鍵としてエコロジカルな文学批評を構築しようとしていることを説明した。
3 現代ネイチャーライティングのポストロマン主義
「主体と客体の二元論から逃れることを永遠に試みるのではなく、主−客体の二元性とダンスを踊る」ことを重視するモートンのエコクリティカルなスタンスは、野田研一が現代ネイチャーライティングに見出す「ポストロマン主義」と親和性があることを指摘し、『自然なきエコロジー』におけるモートンのネイチャーライティング批判がそれ自体ロマン主義的ステレオタイプに陥っているのではないかという私見を呈した。モートンによれば、美しき魂症候群に陥っている「エコクリティシズムは、その対象であるネイチャーライティングからほとんど区別されない」が、彼のネイチャーライティング批判が一面的であることを免れないのであれば、初期エコクリティシズムに顕著な実在的環境への関心をより精緻に考察する必要があると論じた。
4 ネイチャーライティングのダークエコロジー: Annie Dillard, “Living Like Weasels” (1982)
ポストロマン主義的ネイチャーライティング(およびそれを論じるエコクリティシズム)の具体例として、アニー・ディラード「イタチのように生きる」を分析した。イタチと目がロックされた60秒間に語り手が見たのがイタチの「眼」というよりは「窓」であるといった記述を読み解きながら、眼があう経験がノンヒューマンとの心の通じ合いに発展するロマン主義的全体論に回収されない見地がディラードの作品に見受けられることを指摘した。ディラードの文学実践は、人類学者レーン・ウィラースレフがシベリアの狩猟民ユカギールにみてとった「意図的に不完全なコピーとして行動することによって、動物の観点を想定しよう」とする試みと相似性があると考え、ウィラースレフの言葉を応用して「イタチでもなく、イタチでなくもなく」という視座が「イタチのように生きる」という作品を特徴づけていると論じ、モートンの議論に欠落しているノンヒューマンの他性を映すネイチャーライティングのあり様を示した。
5 レシプロシティ――世界を人として愛する
「イタチのように生きる」とは「必然を生きる」ことを意味し、ディラードは人間にとって必然を生きるとはどういうことなのかを問うているが、これは、人間とそれをとりまくものの関係をめぐるエコクリティカルな問いと言い換えることもできる。必然を生きるというテーゼを考える上で、アメリカ先住民ポタワトミ族の植物学者ロビン・ウォール・キマラー『植物と叡智の守り人』で詳述される「レシプロシティ」(責任と恩恵にもとづく相互依存関係)という概念が参考になると考え、キマラーの議論を参照しながら、物理的環境をめぐる実在と概念のもつれあいを考察した。ノンヒューマンを「パーソン」としてみる先住民文化の見地とモートンの見解の類似点を指摘しつつ、人間とそれをとりまくものの集散性を理論化する重要なヒントがレシプロシティにあるという見解を呈し、エコクリティシズムの理論的洗練の展望をもって本講義の結びとした。
今回の講義では19世紀アメリカの思想家ヘンリー・D・ソロー(1817-1862)を取り上げ、環境批評の観点から考察した。日本ではシンプルライフの実践家として、あるいは非暴力主義(市民的不服従)の思想家として知られるソローだが、その生涯のおおくを動植物の観察と考察、すなわちナチュラルヒストリー研究に捧げた人物であった。ソローの博物学的関心を通して、19世紀中盤における科学思想の変遷について考察するのが今回のねらいであった。
ソローにおけるナチュラルヒストリーへの関心の高まりに影響を与えたのが、母校ハーヴァード大学の陣容であった。植物学のエイサ・グレイ、動物学のルイ・アガシ、また昆虫学の権威としてサディウス・ハリスらがいた。ハリスは教授ではなく図書館員だが、ソローの4年次にナチュラルヒストリーの講義を担当し、またソローらとともにハーヴァード・ナチュラルヒストリー愛好会を立ち上げ野外観察に勤しんだ。今回の講義では特に、ソローが愛用した植物マニュアルの作者エイサ・グレイ、そしてグレイと交流があり、ソローがその著作に大きな影響を受けた英国の博物学者チャールズ・ダーウィン、この三者の交流を通してナチュラルヒストリーについて考察した。
ソローにおけるダーウィンの影響を考える上で特に指摘したかったのは、ダーウィンの文学的素養であり、その語り口、すなわち詩的リズムを有する文体の問題である。英国の紳士階級に属し、文学的素養をもつナチュラリストしてのダーウィンの性質は、「詩人ナチュラリスト」と呼ばれたソローの探究心と深く共鳴したからである。ソローの「詩人ナチュラリスト」としての性格は、ネイチャーライティングという新たな文学ジャンルの創成にも、またアガシに代表される科学的学術性へのアンビヴァレンスにも関係し、さらには自然の生態や愛護思想といったエコロジー思想へと繋がっていく。今回の講義は、一般的な内容も含めて「コンコードと日本」、「ダーウィンの衝撃」、「保護思想のはじまり」という三つの項目を柱として話を進め、今後のさらなる問題点として、「文学的感性とエコロジー思想の形成」、「絶滅という思想」、「保護思想とロマン主義との関連性」といった点について指摘し、問題提起を行った。
環境文学研究/エコクリティシズムがアメリカ合衆国で始まったのは1990年代初頭。その契機となったのはネイチャーライティングという「ノンフィクションの自然エッセイ」ジャンルへの注目でした。それまで等閑視されてきたこのジャンルに関する本格的な研究が始まり、そこから浮き彫りになったさまざまな視点や観念が、思想的には18〜19世紀のロマン主義的自然観とは決定的に異なる、新たな自然思想すなわち「ポストロマン主義」に結実したと考えます。核心を成すのは「他者化の原理」です。『メインの森』のソローが畏怖しつつ語った「野生性」。それは自然が人間にとって操作可能なobjectではなく、固有の世界を有するsubjectとしてとらえ直そうとする思想でした。自然を他者化し、声と主体を具備する存在としてとらえ直す「人間中心主義批判」。これこそが20世紀末に環境文学研究/エコクリティシズムが登場した理由だと考えます。
本講義では、津島佑子(1947-2016年)の『寵児』(1978年)を、「女性文学」という従来の枠組みを超え、「クィア・エコフェミニズム」という新たな枠組みから読み直すことを試みた。『寵児』の主人公である高子の欲望は、知的障害を持っていた、死んだ兄との喜ばしい日々によって形づくられている。それは、あらゆる境界線を越境していくという点で、クィアな欲望だとみなせる。高子は、想像妊娠を通じて、死者と生者の分割線のあいまいさを可視化する。さらに、水槽と魚のイメージを用いて、人間と動物の位階秩序に亀裂を走らせる。最後に、光と水という環境的要素を自分の生と関わらせながら、全てがアクターとして存在する世界を現出させる。このように、『寵児』は、個人のクィアな欲望を基盤とし、世界との交わりを組み替えてしまうという、津島文学のクィア・エコフェミニズム的な性格を胚胎する作品として位置づけ直すことができると論じた。
ロマン主義時代のイギリスでは、環境汚染が広がるだけでなく、鉄道の交通網が拡大することで、自然が破壊される事象が増えていった。このような歴史には、人類が地球生命圏のなかで獲得している特権を自明と考える人間中心主義の傲りがある。21世紀を代表するエコロジー運動家でロマン主義研究者でもあるティモシー・モートンは、ウィリアム・ワーズワスやパーシー・シェリーをはじめとするロマン派詩人や作家らの言葉のなかにエコロジー運動の萌芽をみいだしている。本講演では、湖水地方の自然が保護されている背景にナショナル・トラストという環境保護団体だけでなく、その精神を培ったワーズワスやビアトリクス・ポターの文学作品があることを示した。近現代の社会では、どのような〈小さな物語〉がエコロジー思想を擁護するために語られてきたか、またメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』には、いかなるエコロジカルな語りが浮かび上がるかを考察した。
足尾鉱毒事件は、日本公害史の原点と称されるにもかかわらず、エコクリティシズムの文脈から研究されてこなかった。本講義では、足尾鉱毒を扱った作品を取り上げることで、その研究の端緒を拓くことを企図した。『鉱毒悲歌』や『谷中村滅亡記』など公害事件当時に創られた文学テクストでは、公害への憤怒や義憤などがストレートに表現されているが、文学的・美的な価値においては劣ると先行研究ではされている。他方ローレンス・ビュエルは、「汚染の言説」において、汚染への恐怖や不安のみならず、牧歌的イメージもまた認めている。そこで本講義では、まず足尾鉱毒文学において渡良瀬川流域が肥沃な土地であったことが繰り返し表現されていることを指摘した。さらには、(貧困ゆえに)汚染された食物を食うというモチーフについて『苦海浄土』と比較的に分析した。『苦海浄土』では貧困の描写を避けることで牧歌的風景を創出した一方、足尾鉱毒文学の作品群では、やはり貧困を直接的に描いていることが確認される。こうした牧歌的イメージと実際の汚染や貧困の環境正義のあいだの危ういバランスの上に、汚染の言説は存在するのであろう。
この報告では、現代の科学技術社会がつくる人間と自然の関係とはどのようなものか、環境史の観点から考えてみたい。題材として取り上げるのは、日本における害虫の歴史である。こんにち害虫とされる虫たちは、もともとはヒトがつくった人工環境に住み着いた「共生生物」である。江戸時代にはこれらの虫たちは、一種の気象現象と見なされ、人びとは祭礼によって対応してきた。だが科学技術体制を整備した近代国家のもとでは、害虫は排除すべき「敵」と見なされるようになる。そこでは化学殺虫剤が大量に農地に投入され、自然の大規模な改変が行われる。このような生態系の改変が、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)で批判されたことはよく知られている。このように科学技術には、自然に介入し、新たな人工物をつくりだして改変するという側面がある。だが科学技術にはもうひとつの側面がある。それは自然を監視するという側面である。害虫に対しては、1941年に発足した病害虫発生予察事業のもと、各都道府県で常時監視する体制が整備されている。江戸時代に気象現象と考えられたウンカの大発生も、中国大陸からジェット気流に乗って飛来する現象であることが明らかになった。現在では害虫の発生は「気象」のように監視され、シミュレーションにもとづいて予測される現象になっている。現代の科学技術社会とは、(1) 自然から離脱した人工環境を構築しつつ、(2) 自然に介入し、(3) 自然の監視によって災害に備える世界である。それは自己安定化機能を備えながらも、つねに大規模な攪乱が生じる可能性が潜む本質的に不安定な世界なのである。
本講義は、野鳥食文化を軸に日本の歴史像を描き直した。日本の食文化を理解する上で、鳥を食べる文化、すなわち鳥食文化、とりわけ野鳥をめぐる食文化は重要な意味をもっている。さらに鳥は、食のみならず政治や経済、社会、儀礼などをめぐって、魚やほかの動物たちには見られないような、複雑で高度な文化の複合体を形作っていた。そのため鳥は、日本文化そのものを理解する上で、欠かすことができない重要な動物だったといえる。
本講義では、いまでは不思議なくらいにすっかり忘れ去られてしまった日本の野鳥の食文化が、いまでは想像もできないくらいに大きな発展を遂げていた様相を丹念に掘り起こしてみた。とくに多彩な野鳥料理が食べられ、その味が庶民にまで届いた鳥食文化の爛熟期である江戸時代の「江戸」を中心に考察した。この鳥食文化の歴史は、単なる食物史や料理史にとどまらず経済史、政治史、法制史、儀礼史、環境史、資源管理史といった日本の多様な歴史と関わっている。日本、とくに江戸において高度に発達した野鳥をめぐる文化複合体は、社会のさまざまな位相と絡まり合っている点で、世界に名だたる鳥食文化を継承しているフランスや中国と比肩する、いやそれを凌駕する文化成熟度をもっていた。
しかし現代日本人は、私たちの先祖がかつて愛した野鳥の味を、いま忘却している。本講義では、日本における野鳥をめぐる食文化衰退の歴史の背景に、近代における環境破壊と過剰な資源利用という悲劇があったことを明らかにした。